糀屋 雨風について

初代和泉屋熊次郎は、泉北郡上神谷村字豊田の角城氏(かくじょうし)から分家の形で約三百年前元禄二年(1689年)堺市少林寺町東3丁で醤油醸造業を始め近郊へ天秤棒で担いで売りに行きました。雨が降っても風が吹いても商いを休む事が無かった所から『雨風屋さん』と呼ばれる様になったと言う事です。


尚、角城氏は600年、豊田家は300年、余り続いています。(現在の豊田家の姓は出所の上神谷村字豊田の地名から取ったものです。)戦災で資料を焼いてしまいましたが戦前まで代々熊次郎を襲名していました。尚、戦前は宮内庁御用達となり宮中へ納品していました。昭和20年7月の堺空襲までは少林寺町にて操業していましたが、戦後の21年夏からは現在の地(津久野町)で操業しています。


終戦後、醤油業界において生産統制がはずれ大手メーカーが市場進出を始めると中小メーカーは新たな活路を求めざるを得なくなりました。当社も昭和30年から病院や企業向けの販売を始め、取り扱い品名は味噌、酢、調味料一般と広げて行きました。
尚 現在は糀の製造を主に、その関連商品(味噌・醤油・醤油加工品・甘酒・どぶろく・等)を製造販売しています。

十五代 当主 豊田 実

株式会社 雨風 代表取締役
当社は元禄の創業以来「糀」と深く関わり、地元の堺の人々に愛され続けてきました。
今は「糀で元気に!糀で綺麗に!」をモットーに日々麹作りとその関連商品の製造・開発に力を注いでおります。
今後も糀の力・魅力を皆様にお伝えしつつ、皆様のお喜びするお姿を励みとして社員一同努力して参ります。応援をよろしくお願いします。

十六代 当主 豊田 宣広

株式会社雨風 常務
日本の伝統食である「糀」
私の世代は、糀を知らない方が多くいます。
糀の素晴らしさ、大切さを未来(次世代)に残すため、日々丹精込めて努力していきます。

雨風のこだわり - 糀づくり -

その壱:杉室

糀作りと杉には、密接な関係があります
昔は、一般的に、麹室で使用する箱・蓋・床は、杉を材料としていました。杉板の有する柔らかく軽い性質、そして呼吸作用が、麹室内の高温多湿な環境の改善、即ち乾湿差の調節、及び結露防止に役立ちます。
しかし、機械糀作りが主流になり、杉室は姿を消しつつあります。
当社では、昔ながらの手造りにこだわり、杉室で糀を製造しております。

その弐:木桶

糀作りの最も重要な作業に米を蒸す作業があります
当社ではその作業に木桶を使用しております。
蒸し当日の気温・湿度によって、この作業を微妙に調節しており、木桶が持つ優しさを糀に伝えようと励んでいます。

その参:木箱(モロブタ)造り

代々受け継がれる糀職人の技
蒸した米を一晩室にねかせ、翌朝、米を1升づつ木の箱に盛り分けます。木の箱は糀作りに適しており、良質な糀作りには欠かせないアイテムです。

その四:藁(わら)のコモ

糀が良質なわけは、その道具にあり
モロブタに糀を盛り分けた後、コモに水を含ませ、モロブタを覆います。温度調節と湿度を保つためです。藁のコモを使用することによって、ふわっとした良質の糀が出来上がります。

雨風のこだわり - 昔ながらの手づくり -

当社の糀作りは創業以来の伝統を受け継ぎ、昔とほとんど変わらない製法で手作りしています。

糀づくり 1日目

米洗い。
お米を水で洗い流してから水に浸します。

糀づくり 2日目

木桶で米を蒸し、適温まで冷やしてから手作業で麹菌を米に混ぜ合わせます。

糀づくり 3日目

朝、木のモロブタに糀を盛り分けます。
その夕方に糀の温度などを調節するために手入れし、その後適切な湿度を保つために、藁で編んだコモに水を含ませ、モロブタの上にかぶせます。

糀づくり 4日目

朝、室からできあがった糀を出し、できあがりです。

雨風のこだわり - 原材料 -

「お客様により安心して糀を使って頂きたい」という願いで、雨風では特別栽培米を使った糀を作っています。

特別栽培農産物とは、その農産物が生産された地域の慣行レベル(各地域の慣行的に行わている節減対象農薬及び化学肥料の使用状況)に比べて、節減対象農薬の使用回数が50%以下、化学肥料の窒素成分量が50%以下で栽培された農産物です。